埼玉(さきたま)古墳群
【埼玉古墳群とは】 埼玉古墳群は前方後円墳の形態に強い規格性を持ち、古墳時代の地域の首長層と、中央のヤマト政権とのつながりや、当時の政治的動向、首長墓の展開を追求できるなど、古墳時代を研究する上で重要な遺跡として高く評価されています。
令和2年3月10日 文部科学省告示第16号により 正式に埼玉古墳群が国の「特別史跡」に指定されました。
埼玉古墳群の歴史
江戸時代文化・文政期に編まれた、武蔵国の地誌をまとめた『新編武蔵風土記稿』には、遠くに忍城を望んで、忍川沿いに丸墓山と将軍塚が描かれています。
埼玉古墳群を写した、最も古い1930(昭5)年の航空写真。丸墓山からのびる石田堤、前方部が土取りされていない稲荷山古墳、東方には後に失われてしまった前方後円墳の若王子古墳が見えます。
戦前の丸墓山古墳 戦前の二子山古墳
戦前の丸墓山古墳には、石田堤とその両側にあった松並木が見えます。後に松はすべて枯れてしまい、現在の桜が地元の人たちによって植えられました。
左は整備事業が始まる前の1973(昭48)年の丸墓山古墳、右は同じく整備前の稲荷山古墳です。丸墓山古墳には戦前の写真にもあった、石田堤に沿った松並木の最後の1本が写っています。稲荷山古墳はまだ前方部が失われた状態で、木々に覆われて水田の中に浮かんでいます。
整備を開始する際に、どれかひとつ古墳の発掘を行うことになり、選ばれたのがこの半分壊れかけた稲荷山古墳でした。幸い土取りをされずに残った後円部の、盗掘もされずに残った第1主体部から見つかったのが、後に国宝に指定される金錯銘鉄剣です。その意味で稲荷山古墳と国宝鉄剣は、非常に幸運の星のもとにあったといえます。
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