休館中ブログ

開館54年目を迎えました/思い出の写真を募集中です

 当館は、今年10月で開館から54年目を迎えました。

 当館が埼玉県立の「さきたま資料館」として開館したのは昭和44(1969)年10月でした。その後、平成18年に「さきたま史跡の博物館」と名前を変え、現在に至ります。

 

 今回の記事では、さきたま資料館開館当時の写真を見てみたいと思います。まずは建物の外観です。

さきたま資料館開館当時の外観。

 現在の建物の国宝展示室にあたる部分がまだ造られていないことがわかります。古墳群の整備と歩調を合わせて、建物も拡張されたのですね。

 現在の様子は次の写真のとおりです。

 

 開館して間もない昭和44年、丸墓山古墳まで続く道はこのようになっていました。

  レストハウスや並木がなく、ずいぶんすっきりとしています。こちらも徐々に整備されて、いまのような形になったのですね。

 

 今年は、「わたしと埼玉古墳群 故郷さきたま写真展 —埼玉古墳群・博物館のお写真を募集します!—」と題して、皆様がお持ちの埼玉古墳群・さきたま史跡の博物館(さきたま資料館)の写真を募集しています。

故郷さきたま写真展 詳細ページへ続くバナー

 今回見た写真のように、写真のおかげで当時についてわかることがたくさんあります。皆様がお持ちの写真が、50年以上の歴史を振り返る手がかりになるかもしれません。

 すでに多くの写真をお送りいただいているので、HP上で一部ご紹介するほか、今冬にさきたま古墳公園内で写真展を実施する予定です。

 

 12月4日まで受付は続きますので、ぜひご応募ください!

 
(広報・学習支援担当)

コスモスの花が見頃です。            

さきたま古墳公園内では様々な花を見ることができますが、

二子山古墳と将軍山古墳の間には、約2,000㎡のコスモス畑が広がっています。

二子山古墳とコスモス畑(10月12日撮影)

古墳公園北側の地図にコスモス畑の位置を示す。

10月12日撮影。10月12日撮影。

コスモスの花がちょうど見ごろを迎えているところです。

歩きやすくなってきたこの時期に、古墳群を散策してみませんか?

 
(広報・学習支援担当+公園管理担当)

博物館改修工事の進捗状況Vol.1

さきたま史跡の博物館は9月1日より改修工事に伴い休館となっておりますが、

改修工事中の当館の状況についてお知らせいたします。

 

①博物館外のケヤキ並木

 博物館へと続くケヤキ並木から博物館までは、安全のためのフェンスで囲われています。

来園者用の通路を確保してありますが、通常時と比べとても狭くなっておりますので、通行には充分お気を付けください。

 

ケヤキ並木の写真フェンス外通路の写真

 

博物館前にあった自動販売機はフェンス外に移動してありますので、今までどおりご利用いただけます。

自動販売機の写真

 

②博物館の外観

 博物館の外観写真です。工事用の仮設事務所や足場が組まれており、工事着工前と現在の状況を比較すると、その違いは一目瞭然です。

 博物館外観様子(現在)

フェンス外通路の写真

博物館外観様子 (工事前)

博物館外観様子 (工事前)

現在は作業を行うための足場組立を行っています。これから屋上防水や館内の空調設備、電気設備などの改修を行っていきます。

 

引き続き進捗がありましたら更新していきます!

さきたま史跡の博物館の再オープンをお楽しみに!

(総務担当)

出張授業に行ってきました(中学校向け「郷土の誇り 埼玉古墳群」)

 先日、博物館の近隣の中学校に出張して授業を行いました。
 テーマは「郷土の誇り 埼玉古墳群」。古墳群や出土品についてのより深い知識や、地域の人々が古くから地元の古墳に向き合い、保護を行ってきた歴史をお伝えしました。

授業の様子。

 各地の古墳は、様々な事情で墳丘の部分がなくなってしまったものが多くあります。埼玉古墳群の古墳は今でこそ特別史跡の指定を受け大切にされていますが、かつては消滅が危ぶまれた時期もありました。

 埼玉古墳群の位置する土地(現在の行田市)が開拓され始めた頃は、地面が水分を含みすぎていて開拓がうまく進まなかったようです。そこで、古墳の墳丘から埋め立て用の土をとることが行われていました。

 例えば、かつて埼玉古墳群の東にあった若王子古墳は、土取りで昭和9年頃には完全になくなってしまいました。

若王子古墳があった位置上空からの写真(黄線はクロップマークから推測された墳丘の形。)

 このままでは他の古墳もなくなってしまうと危惧した当時の埼玉村の人々は、昭和10年、県に対して丸墓山、二子山、鉄砲山古墳の保存要望書を提出します。指定のための調査が行われる間にも、稲荷山古墳の前方部が土取りで消滅してしまいましたが、昭和13年にはそれらの古墳が周辺のものも含め「埼玉村古墳群」として国の史跡に指定されます。

 この指定の後には、各古墳の周りに「埼玉村古墳群」と書かれた標柱や記念碑が建てられました。これは、地域の古墳を守っていこうとした人々の決意の証といえます。昭和32年に「埼玉古墳群」へ名称を変更した現在も、これらの石碑や標柱は古墳をまもるように残っています。

保存運動の記念碑鉄砲山古墳の標柱

 この授業を通して、埼玉古墳群の近くに住む中学生の皆さんに、古墳や郷土の文化財を誇りに思い、大事にしていく気持ちを持ってもらえればと思っています。

 
(広報・学習支援担当)

10月なのに〇〇〇の花が!?        

残暑が続いた9月も終わり、だいぶ過ごしやすい時期になってきましたね。

さきたま古墳公園内の石田堤付近をお散歩していたところ

 
おや、何か白いものが見えますね、、、

石田堤付近の木を3倍ズームした写真

おやおや?もしかして???

10倍ズームした写真

あ!桜だ、これ!!!

30倍ズームした写真

調べたところ十月桜という品種があり、全体の1/3のつぼみは秋~冬に、残りの2/3は春に咲かせるそう。しかし、さきたま古墳公園の石田堤は春に満開の桜並木になることで有名です。木全体を見ても咲いている箇所はほんの数か所なので、これは十月桜なのか?と謎は深まるばかりです。

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桜の正体は分からずじまいでしたが、「心地の良い暖かさになってきたから、桜も咲きたくなってしまったのかな」なんて吞気なことを考えながらほっこりした1日でした。

 

皆さんもさきたま古墳公園を散策されるときは、ぜひ石田堤の桜を見つけてみてはいかがですか?

 

追伸

石田堤付近は彼岸花が咲いています。今なら桜と彼岸花の春秋コラボレーションも見られるかも??

10倍ズームした写真10倍ズームした写真